ひかげのかずらに出逢う時


こんな小さな、取るに足らない
見過ごしてしまいそうな
シダ植物が
神事に使われていたという

ミミズのような、もずくのような、
緑の生き物
瑞々しく湿った森の木陰に、草木の根元に
きっと苔の兄弟のように
ひっそりと、おはすのだろう

日本人の美意識…自然観とは何かを
ここ数年追って来たけれど
辿り着いたのは、

何のことはない、
ただ全てを、有り難く受け止める意識
身の回りの全てに、感謝する
清き明き心
ただひたすらに、朝一番に、疑う意識を祓い
感謝する心持ちであったかのように想う

それが古代の人々にとって
あるいは江戸の世までは
目の前に兄弟として共に在り
そこに包まれる、"自然"存在ー
それこそが"身の回りの全て"の
主な要素ーに 感謝する心持ちだった

それ以上でもそれ以下でもなく、ただ、
毎日を生きていく上で大切なことであった

日々、この身に頂けるもう一つの、
他者なる命に
感謝すること
頭を下げること
有り難く、尊く想うこと

それが私たち、この列島に流れつき、
共に生かされて来たホモ・サピエンスたちの
調和の中で生きてこられたご先祖様方の
生きる眼差しであっただろう

人間が創って手を入れたもの、以外、
世界には、この地球には
何が在るか ふと周りを見渡せば
"自然"しかない
人智ー
ロゴス的知性を、超えた理(ことわり)の中で生きる、
秘めた知性を、感性を、霊性を、…何がしかを持って

生きて在る、不可分な仲間

もう1人のわたし


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